year/2008
country/Japan
Wax Poetics Japanの第2号。
-以下卸元より-
Sun Ra
サン・ラに関して語る際、年月や時間といった現世にのみ関わることにこだわるのは止めておいた方が良いと思うが、彼がこの惑星に降臨したのが1914年、 アラバマ州のバーミングハムという地であり、同じ場所から再び旅立って行ったのが1993年であった、とだけは明記しておくことにしよう。というよりも、 我々が事実として知っているのはそこまででしかない。それ以外の全ては神話の領域にあるからである。そして彼は2つの目的を掲げ、それを成し遂げた。その 目的とは、永遠の命を手に入れること、この地球という惑星の住人達を音楽と言葉の力によって「宇宙の時代」へと誘うことであった。本号のメインであり、全 13ページにも及ぶ記事と彼の200枚のレコードを余す事なく掲載。
Slick Rick
『The Great Adventures of Slick Rick』がプラチナ(100万枚の売り上げ)に輝いてから20年後、彼は現代のアーティストたちにとって一つの評価基準となっている。彼の強烈なルック ス“アイパッチに大きなジュエリー、そしてそれ以上に大きく輝く笑顔”は、ラッパーたちのスタイルにおけるターニング・ポイントをもたらした。 もう音楽ニュースや法律上の問題で見出しを飾ることはなくなったが、今スリック・リックは過去20年間磨き上げてきた技について、自ら語ろうとしている。 ワックス・ポエティクスはスリック・リックに彼のストーリー、成熟の過程、そしていかにヒップホップが変革の手段になり得るかを聞いた。
Grant Green
初めてグラント・グリーンを聴いたときのことを、忘れることはないだろう。それは私のルームメイトがギターの先生から手に入れた、パチパチと音のする古い レコードだった。そのサウンドが、彼のクローゼットほどの広さのベッドルームから、廊下を越え、私の部屋のドアの下から流れてきたのだ。
Patrick Adams
ディスコのパイオニアであるパトリック・アダムスは未来的で、この世のものとは思えないディスコ・ソング「Atmosphere Strut」をレコーディングした。ピーター・ブラウンはアダムスを口説き落とし、まだ立ち上げたばかりのP&P Recordsからこの曲をシングルとしてリリースした。シリアスなディスコ・ファンは、ディスコの素晴らしさを理解しない人を説得するときに、この 「Atmosphere Strut」のニューヨークらしい重厚なディスコ・グルーヴについて語るのだ。
Arthur Russell
70年代、アーサー・ラッセルはニューヨークのクラブ・アイコンであり、 Studio 54のレジデントDJだったニッキー・シアーと肩を並べて仕事をしていた。なぜ彼がこのような華麗な転身を遂げたのかは、ラッセルの性格と、70年代中期 から後半にかけて彼が活気あるニューヨークという街でもたらした音楽的進化と深く関わっている。
Isaac Hayes
バッ ド・ニュースはすぐに広まる。アイザック・ヘイズの訃報もそうだった。彼は(2008年)8月10日、日曜日午後、テネシー州メンフィスで死去した。昼前 にピアノでいくつかの新しいメロディーを弾き、その後トレッドミル(ルームランナーのような機材)でジョギングを開始。彼女と2歳の娘ナナ・クワジョ(ヘ イズの11人目の子供)と4番目の息子は、用事のために外出した。彼らが自宅に戻ると、65歳のヘイズの体が、依然回転していたトレッドミルの横に倒れて いた。
Incredible Bongo Band
ファンクとソウルのレコードの強力なブレイク ビーツをループさせることが、ヒップホップの基盤になった。そして、この新しいジャンルにおいて、クール・ハークによって最もプレイされた2枚のレコード が「Bongo Rock」と「Apache」だった。しかしインクレディブル・ボンゴ・バンドは何者だったのか? ヒップホップというアートフォームの土台にもなった、 このボンゴ・ファンク・ミュージックはどこから生まれたのか? その答えは、ロサンジェルスとヴァンクーバーだ。
PPP
「こ のアルバムは、デトロイトへのオマージュ、そしてデトロイトへの回帰を表現した作品なんだ」とPPPのリーダーであるワジードは新作 『Abundance』について語る。「『Triple P』とは全く違う方向性の作品を作りたかったし、前作への反動があったことは間違いないね。ネオ・ソウルに比較されることは正直ウンザリしていたし、固定 観念で見られることがイヤになったんだ。10年間も音楽をやってるから、同じことを繰り返したくなかったんだ」
Cinematic Orchestra
学 生時代にいくつかのパンク・バンドでベースとギターを演奏していたスウィンスコーは、90年代半ばになってジャズ、映画音楽、サンプリング、DJに興味を 持つようになったという。ロンドンに移り、あのNinja Tuneでディストリビューションの仕事に就いた彼は、自らもこのレーベルに音楽を提供するようになり、やがて同じくNinja Tuneの所属アーティストだったフィル・フランス(ベース)、ダニエル・ハワード(ドラム)、そしてトム・チャント(サックス、キーボード)をスカウト することになる。
Clement “Coxson” Dodd
クレメント“コクソン”ドッド、彼は 何十年もの間、神話的なルーツ・レゲエのカタログを独り占めにしてきたStudio Oneのプロデューサーである。レゲエ界のMotownとまで言われたStudio Oneであるが、そのレーベルに対して彼がリリースを許してきた音源は、事実上そのカタログのほんの一部分でしかなかったという。Heartbeat、次 にSoul Jazzという外部レーベルに対し、コクソン自身がその玉手箱の中身を商品化することを許した日まで、その神話は揺るぎないものであった。
Rock & Shake
栃木県にあるジャマイカン・ミュージックやソウルなどを扱う名店の「Rock & Shake」。店主であるZoo-Shimi氏は日本でも有数のジャマイカン・ミュージックのヴァイナル・コレクターである。本誌“Coxson’s Testament”の主人公コクソン・ドッドに大きな影響を受けてきた1人であり、日本でコクソン関連のことについて詳しい数少ない人物ということで話 を伺ってみることにした。
12×12 with Andrew Mason
今回取り上げるのは、す べてが1977年から1982年というクラブ・クラシックスの黄金期にリリースされた作品である。ヒット曲もあれば、マイナーな曲もあるが、みなダンス・ フロアを狂喜させる力を持っている。いずれ本誌でも、解説や資料がほとんど残っていない作品群に日の目を当ててきた多くの先駆者たちの助けを借りて、我々 もさらにダンス・ミュージックを掘り下げていきたい。ひとまずはここに12枚を取り上げる。じっくりと読んでもらえれば、多いに触発されるはずだ。
Bob James
ボ ブ・ジェームスのファンキーなピアノ・リフに厚みのあるビートは、まるでサンプリングされることを想定して作られたようだ。1970年代にCTI Recordsのアレンジャーとして、またソロ・アーティストとして活躍したジェームスは、これまで最もサンプリングされているレコードに関わっている。 ムードあるシンセの即興演奏が印象的な「Nautilus」は、未だにビート・ジャンキーたちを虜にして止まないようだ。そんなジェームスにインタビュー を試みる。
Tatsuo Sunaga
レコード番長の異名を取り、全国津々浦々から海外にまで至る DJ活動、自身のユニットSunaga t experienceでの作品リリースやリミックス、akikoや万波麻希などアーティストのプロデュースと、無尽蔵とも言えるハード・ワークを続ける須 永辰緒。昨年、『須永辰緒の夜ジャズ』復刻第1弾としてユニバーサルから5枚のアルバムと1枚のEPが発表されたが、今年末も第2弾の5枚が発表される。 今回のテーマは「世界を巡る」。
ヴァイナル駅伝
DJ MUROによる新連載が本号からスタート。昭和の香り漂うドメスティック音楽、日本盤見直し運動も兼ねて、その個性の1つである“タスキ(帯)”や、差込ジャケのドーナツ盤にも着目した選盤連載。その第1回のお題は“古今東西和製サントラ盤”。
Bozak × Nubian
1950年、スピーカーや音響機材を作る研究会社として米国コネチカット州に『Bozak』が設立された。『Bozak』が特に話題になったのは『パラダイス・ガ ラージ』の看板DJラリー・レバンが好んで使っていたからだ。その『Bozak』が20年の眠りから覚め昨年復活し、『Bozak』現オーナー、ポール氏 に復活をインスパイヤーしたケヴィン・ヘッジ(BLAZE)に復活までの道のりと、日本限定T-Shirts企画について話を聞いてみた。
Kenichiro Nishihara
「西原健一郎」と名のるそのアーティストは、新たに立ち上げた自身のレーベル、UNPRIVATEからの第1弾シングルである、奇妙なアナログ7インチをそっ と私に手渡した。そこには、数々の国内外のコンピに選曲されている、テノーリオ・ジュニオールの「Nebulosa」と、パット・メセニー・グループ 「Slip Away」の軽快なボッサ調カヴァーが収録されていた。制作にはあのD.O.I.氏も関わっているという。
Harmonic 313
UK のベテラン・プロデューサー、マーク・プリチャードはクラシック、60年代のジャズ、70年代のフォーク、アシッド・ハウスにアンダーグラウンド・ヒップ ホップ、エレクトロにダブステップ……と、あらゆる音楽を収集し、それをまた同じくらい多様なスタイルの作品にして世に送り出し続けている。たくさんの顔 を持つマーク・プリチャード。そのほんの一部について、話を聞いた。
Cutting Corners
レ コード・コレクターならば、誰もが「ジャケットの一部がカットされている」いわゆるカットアウト盤をエサ箱の中で見つけたことがあるはずだ。そのカットア ウトの仕方は、ジャケットの隅が三角に切り取られていたり、円形に切り抜かれていたり、または見えないくらい小さな穴だったりいろいろある。ここでカット アウト盤の分類学についてお話しすることにしよう。
On The Blackhand Side
1970 年代のブラック・オリエンテッド映画は、歴史上、映画的に、また結果として哲学的、政治的な意味においても非常に重要な時期の一部となっている。展開の早 いアクションに溢れたそのストーリーには、多くの場合、男性ヒーローあるいは悪役ヒーローが含まれ、彼らは既存システムとの絶縁の必要性を感じ、最終的に 暴力に訴えるのだった。